自分の幸せをとことん追求してみる

みんなが一人一人、自分を大切にして、自分らしく生きていける世界でありますように☆

自分を愛する具体的方法論

みなさんこんにちは!

 

いつでもご機嫌と言うわけではないけれど。

 

朝の一番大事な時間に、丁寧にコーヒーを入れて。

 

マンガを一冊のんびり読むだけで、

 

たいていの事は些細なことに思えてしまう。

 

 

なかなか幸せな性格をしている旅人エリーです。

 

自分を幸せにするものは、いつも身近に常備。

 

 

さて、今日は前回の続きです。

 

前回は、人生で一番大切なこと、まず初めにしなければならない事は、

 

「自分をとことん愛する」

 

ことだという記事を書きました。

 

※その根拠は、前の記事見てね。内臓を例に解説してるから。

la-luce-autunno.hatenadiary.jp

 

 

今回は、「自分を愛するって、じゃあ具体的にどうすればいいの?

 

ということについて書いてみようと思います。

忘備録的な意味も込めて。

 

……ホントは、元ホストのローランドさん向きの話だとは思うんですが。

 

彼の自分愛は天性のものっぽいので、わたしは具体的方法論で攻めてみます。

 

まず前半戦はこの3つ

①少しでもやりたいと思ったことは、全部やる

②自分の身の回りの物を、大好きな物だけで固める

③今この瞬間、最もしたいと思う事をする。 

 

ではどうぞ!

 

 

①少しでもやりたいと思ったことは、全部やる

 

これはですね、麻布のドンっぽいおっちゃんに、繰り返し言われていたアドバイスです。

 

時間が、とか。

お金が 、とか。

分かりますよ、現実問題それらがけっこう重要だったりする事も。

 

ただ、「やりたいからやる!」と決めてしまって。

 

それに向けてどんな小さな一歩でも、踏み出せば意外と道筋はできていくもの。

 

踏み出してみて、やっぱり違うと思ったらやめればいい。

 

でも、じぶんがやりたいと思ったことに耳を傾けることが大事。

 

なぜなら自分への信頼と愛を、めっちゃ高めてくれるから!

 

 

日本人って、何かを極めるという事に美徳を感じる民族ですよね。

 

「これが極められてないのに、他のものに手を出すなんて」

 

「ここまで極めたのに、続けていかないなんて」

 

新たな挑戦を阻む一見正しそうな言葉なんて、いくらでも出てきます。

 

でも、既成概念より自分の言葉に従う事も大切だったりします。

 

ここで、例の麻布のおっちゃんの言葉。

 

やりたいと思ったことはな、全部やるんだよ。どんな小さなことでも全部だ。

 

じゃなきゃよ、嘘じゃねえか。

 

やりたいと思ったことをやらねえのは、自分へ嘘をつくことなんだよ。

 

そんな下らねえことしてんじゃねえよって。自分の人生だろ。

 

自分の人生を、嘘にしたいのかい

 

言われたときは「はいはーい。」とお気楽に答えていたんですが、

 

今ならすごく大事なことを聞いてたんだなあと、わかります。

 

自分のやりたいことは、全部やる。あらゆる意味で覚悟が必要♪

 

 

ちなみにこのおっちゃん、どこに行っても、どんな人にも、

 

男性にも女性にも老いも若きも、

 

どんな国の人にも慕われていた方でした。

 

 

 

 

②自分の身の回りの物を、大好きな物だけで固める

 

わたしはずいぶん長い間、トランク1つでいつでも移動できるだけの、

 

そんな量の物しか持たずに生活してきました。

 

そんなある日。カレー大好き仲間の友人から、

 

ある日急に、めちゃくちゃオーラが出て、まるで別人のように

 

生き生きと仕事し始めた子がいてさあ。

 

何があったのって聞いたら、『本当に本当に大好きな物だけを!

 

部屋に置くようにした』んだって

 

そしたら、急にみんなから声掛けられるようになったんだってさ!

 

――まあ、そんなん聞いたら、すぐに取り掛かりますよね。

 

人生がときめく片づけを!(Byこんまりさん)

 

で。自分は本当はどんな部屋に住みたいんだろう?

 

って自分に問いかけた瞬間、もう心がわくわくキュンキュン飛び跳ねる飛び跳ねる

 

今まで贅沢な物を持ったり、心ときめくかわいいものを持つことを、

 

自分に許しては来なかったんだと、しみじみと痛感しました。

 

まあ、わたしの場合とは逆に。

 

本当に自分にふさわしいものだけを残して、そうでないものは手放す…

 

そんなプロセスが必要な方もいるかもしれません。

 

 

どちらにせよ、自分の魂が深く安らげるような、本当の自分に返れるような部屋。

 

ときめきの塊のようなクッションカバー。

 

そんなものを自分に許すって、究極の自己愛ですね♪

 

 

③今この瞬間、最もしたいと思う事をする。 

これは、

 

「自分がやりたいことが分からない。」

 

「自分の声に耳を傾けるってどういうことか分からない」

 

っていう、ちょっと感度が鈍くなっちゃった方にピッタリな方法。それは、

 

まずは、今、この瞬間に一番したいことは何かなーってじぶんに問いかけてみること。

 

アイス食べたい?寝たい?コーヒー飲みたい?絵を描きたい?

 

なんでもいいですよ。その瞬間、心がわくわくっと息を吹き返す感覚があったらそれが正解♡

 

それをかなえるために、早速行動を開始しましょう♪

 

 

過去の事とか、未来の事とか、そっちに焦点あてたまま、自分の望みが何か考えちゃうと……

 

既成概念だったり、常識にとらわれて、理性や左脳で論理的に「自分の望み」考えがちなんですよね

 

……書いてて思うけど、こんな適材適所に反したことってないわ。

 

 

なんか、思ったより長くなってしまったので続きは次の記事で

まずはとことん自分を愛してみる 話はそれからだ

みなさんこんにちは♪

 

 自分より相手を大切にすることが善行と考えて、

 

人生の半分、人に振り回されまくったエリーです☆

 

いやあ、「不遇な境遇でもケナゲに生きる」っていう、

 

物語のヒロインのような生き方とは、

 

自分に我慢を強いるってことでは、決してないなと。早く気付くべきだった。

 

 

さて、今日のテーマは表題の通り

 

まずはとことん自分を愛すること!!!すべての話は、それができてからだ!

 

です♪

 

 

引き寄せだろうが、世界平和運動だろうが、人生だろうが哲学だろうが、仕事だろうが。

 

自分をきちんと愛せていない人は、うまくいかないんですよね。

 

だって、そもそも世界の調和に反してますからね!

 

考えてもみてください。

 

もし胃が、自分の負担になっているにもかかわらず、

小腸のために一生懸命、栄養分の吸収まで始めちゃったら

 

それが原因で自分の身体を損ねて、食物の消化も出来なくなっちゃったら

 

 

完璧なバランスで保たれている「身体」という小宇宙のバランスが、崩れちゃいますよね。

 

それって最終的には、小腸のためになるどころか、身体全体にとって大損害です!!

 

 

だから、自分をきちんと大切にできていない人って、

 

頼むからまずは自分を大切にしてくれー!

 

ていうメッセージやサインが表れるんですよ。

 

 

分かりやすく壁にぶち当たる場合がほとんどですが(過去の私のように☆)

 

一見うまくいっていても、どこかひずみが出たり、

 

どれだけ相手の為に尽くしても、周囲との調和がとれていなかったり。

 

 

―― 幸せを感じられず、わくわくもしないってことは、そっちの道じゃないよ☆ってサイン

 

 

 

でも、

 

「自分をとことん愛するって、じぶんのことばかりかんがえるってこと?」

「エゴイスティックな人間は苦手」

「わたし、そんな人になりたくない!」

 

わかります、わかります。

 

でもまずは、これだけは言っておきたい。

 

自分を愛するというのは、「横暴・傍若無人にふるまう」ってことではないです!

 

自分を愛し始めた当初は、一瞬自分がそんな人になったのではないか、と心配しちゃうこともあるかもしれませんが。

 

 

 

自分を大切に扱い、自分をとことん愛し、本来の自分をありのままに表現する事

周囲の人たちと、調和のとれた関係を築く事

 

 

この2つは、両立します。

 

 

胃と腸が、自分の身体を大切にしつつ、協力し合って食物を栄養としてとりこんでいくように。

 

 

 

ちなみに横暴な人とは、

 

「自分を最優先させつつ、相手が自分自身を大切にすることは認めない人。」

 

「自分が自分を優先させるのは当然でも、相手にはそれを許さない人。」

 

が、わたし的定義です。

 

自分を愛せない人とは逆で、調和を取れた関係を築くことが出来ない人、かな。

 

このような人は、

‐実は根っこの部分で自分を充分に愛したり、信頼していない

 

もしくは、

‐きちんと周りが見えていない、感性が鈍い

 

のどちらかかなあと、自分自身と周りの人々を観察してみて、思います。

 

 

 

このような方々って、「自分自身を愛さずに人にばかり尽くす人」と、

 

めちゃくちゃ相性がいいんですよ!

 

かつてのわたしの周りの人、このような方々ばかりでした。

 

楽なんですよね。自分を愛していない人からすると、

このような人のそばにいるのって。

 

 

でも、自分自身をきちんと愛し始めたら、自然と彼らとの間で

調和が取れなくなってきて。

 

いまでもみんな好きだけれど、あまり興味は無くなってしまいました。

 

 

閑話休題

 

さて、話は戻って。

 

 

かの有名な、古代の宗教指導者も言っていました。

 

自分を愛するように、隣人を愛しなさい

 

そう、まずは自分を愛すること。

 

 

人の心を推し量る前に、自分が本当に望む物に焦点を当てる事。

 

人や世界に尽くす前に、自分を喜ばせるために何が出来るか考える事。

 

人を健康にする前に、自分が健康である事。

 

人の仕事を手伝うより、自分の使命を全力で全うする事

 

 

すべての話はそれからですよー!

 

って話でした。具体的なHow to 自分の愛し方は、次の記事に続く

サティア(正直)と願いと引き寄せの法則

みなさんこんにちは!

 

ちょっとヨガインストラクターもかじってみちゃったりなんかした、

整体師のエリーです♬

 

ヨガのポーズも楽しいけど、どちらかというとヨガ哲学に夢中。

 

さて、今日は引き寄せの法則と、ヨガ哲学で語られる「サティア正直)」についてお話ししようと思います。

 

 

というのも、以前は書いても書いても叶わない願いがいくつかあったのですが。

 

このサティアと引き寄せの法則の関連に気づいてからというもの、

 

突然、ホントいきなり、待ってましたとばかりに願いがするする叶ってしまったので。

 

 

 

この気づきが、「叶わない願いがいくつかあるんだよねー」

 

って方の、何かヒントになればいいなーと思い、書いてみることにしました。

 

もし何かふと感じるものがあったら、気軽な気持ち🎵 で試してみてくださいね。

 

 

まずサティアとは。

 

ヨガ哲学の中で、「まず前提として、これらをやらないようにしようね」

 

と定められている禁戒5つのうちの1つです。

 

曰く「嘘をつかない。」

 

簡単なように思えるでしょ。小学生か!って、思ったでしょ。

 

でもこの禁戒、どれも極めるのが超難しいと言われている難題です。

 

例えば禁戒の第1番目は「アヒンサー(非暴力)」と言われるものですが。

 

これを極めると、その人の周りで一切の争いがなくなると言われています。

 

そしてこのアヒンサー、かのガンジーですら極めることができなかったのだそうです。

  ※余談ですが、わたしは若い頃からガンジーマンデラ大統領が大好きです

 

さて話は戻ってサティア正直)です。

 

インテグラル・ヨーガという、ヨガ哲学を学ぶ人やヨガインストラクターがまず読む、

 

数千年に及ぶヨガの哲学を体系的にまとめてある本があるのですが。

 

この本に、

 

人が常に正直であるならば、その人の言うことが全て現実になる時が来る。」

P216 36 サティアに徹したものには、行為とその結果が付き従う より

 

 と書いてあります。

 

 

 

これって完全に引き寄せの法則だよね。

 

言ったことが現実になるってさ。

 

でも、極めるのが難しいサティア、ただ単に「嘘をつかない」ってだけじゃないでしょう。

 

 

そこで、ふと、潜在意識と顕在意識について思い出しました。

 

わたしたちが考える「嘘をつかない」って、顕在意識の考えと口に出す言葉を同じにするっていうことだけれども。

 

わたしたちって日常的に、

 

自分自身に対して、本心でないことを言い聞かせたり、

 

無意識で思っていることと、頭で考えていることに違いがあったり

 

しますよね。

 

(例えば、イソップ物語のキツネみたいに、ホントは美味しそうだと思っているのに「あんなん、酸っぱいに決まってるし」って自分に言い聞かせていたり。

 

強気に振舞っている人が、実は内心は怯えとプレッシャーに押しつぶされそうになっていて、しかも本人がそれに気づいていなかったり。)

 

だからサティアって、

 

潜在意識顕在意識、そして口にする言葉、さらに行動を全て一致させること

 

なのかも?!

 

って、ふと思ったんです。

 

(……念のため書いておきますが、これが正解とは思っていないですよ?

 

哲学ってどれも、自分なりの答えを自分の中に見つけていくものだと思うので。

現時点のわたしが、この「サティア」と言う言葉から学んだものが、これだったのだと思っています。)

 

 

まあ、ご想像の通り、言うのは簡単でも実際にやってみるとそこそこ大変でした。

 

けれど、自分が自然体に戻っていく感覚を確かに覚える頃には、

 

滞っていた郵便物が一気に配達されるかのように、次々と願いが叶っていったので

 

(中には、数年前に願ったまま忘れていた願いもありましたよ!)

 

気軽な気持ちで、まずは心がけてみてください☺️

 

ちなみに、

 

自分自身をとことん大切にして愛すること

自分の声を一切否定せず、とことん向き合うこと

 

が、

 

潜在意識顕在意識・口にする言葉行動を一致させていくこつだったので、こちらもご参考までに💫

 

 

新月の願いには半年ルールがあるらしい

マーフィの法則、引き寄せの法則新月の願い……

 

ビジネス書からスピリチュアルの本から占星術の本まで、

 

ありとあらゆる本に書いてあるので、ご存知の方も多いかもしれません。

 

「ノートに願いを書いたら、その願いは全てかなう」

 

という法則を。

 

 

わたしはマーフィの法則から入ったクチですが、

 

新入社員時代、書いた願いがことごとくかなって以来、

 

形は違えどノートに願いを書く習慣は続いています。

 

 

さて、最近は「新月の願い」形式で書いているのですが、

 

新月の願いとは、文字通り新月に願いを書くこと。

 その新月の星座によって書き方を変えると、叶いやすくなるとか。

 

ふと、以前どこかのブログで「新月に願った願いは、半年後の満月で叶う事が多い。」

 

という記事を読んだのを思い出しまして。

 

で、半年前の新月の願いを何気なく見直してみました。

 

 

……ちょっと自分でもびっくりするくらい、めっちゃ叶ってました。

 

 

 

いやまあ、確かに本気で望んでいたけども。

 

イメージを貼り付けたりなんかして、ワクワクしながら願ったけれども。

 

その時は正直、「これ叶ったらすごいねえ。」くらいの、

 

おばあちゃんが、「しょうらいゴジラになる!」と夢を語る孫にかける言葉くらいのテンションで願ってました。

 

 

うっそ、かなってるよ。たった半年で。

 

ていうか、あの、

 

「自分らしく振舞っても受け入れてくれる人に囲まれたい!」

 

「豊かで楽しい、お互いを尊敬しあえる人間関係だけを築いていきたい!」

 

と、身もだえするほど願っていたあの時期って、たった半年前の事なの?!

 

その事実に何よりびびりました。

 

 

半年前の自分なんて、基本別人だと思っていいと思う。

 

 

その他にもいろいろ工夫はしたので、それは別の記事で書く予定ですが。

 

半年ルール、あると思いますよーわたしは。

 

スクラップした画像通りの現実を目の前にしながら、つくづく思います。

 

まだはっきりとした形にはなっていない願いも、

 

伏線を張りながら、フラグを立てながら、

 

確かに動き始めている気配を感じます。

 

こうなってくると、ますます人生楽しいな。

 

次の新月をチェックして、ぜひ試しに書いてみてくださいね。

満月の下でヨガ

昨日は、美しい満月でしたね。

 

あまりにも美しかったので、いてもたってもいられず、夜中に屋上でヨガをしていたエリーです。

 

花粉症の人が聞いたら卒倒しそうな所業。

 

さて、1人お月様を見つめながらヨガをしていたら、ふと、数年前のセブ島への一人旅を思い出しました。

 

手元にスマホもなく。

 

朝は湖のような透明度の高い海で、静かに泳いで。

 

波の音を聞きながら朝食をとって。

 

昼間は木陰で本を読んだり日記を書いたり、思いついたことをメモしたり。

 

時々、そこで働いている方々と楽しくお話ししたりもして。

 

そして夜は、ハンモックに揺られながらお月様を見上げていました。

 

あの時は、こんな風に日常を離れなければ安らぎは手に入らないと信じていたんですが。

 

こんな東京のど真ん中でも、あの時と同じような安らぎを得ることってできるんだなあと、しみじみとさとりましたよ。

 

とんでもなく重大な発見をした気がして、そのままご機嫌で月光浴していました。

 

肌寒いようでいて柔らかい空気も、

 

チカチカ光る街の明かりも、

 

ささやかなようで力強い草木のざわめきも、

 

降りそそぐ繊細な光の粒子も、

 

全てが優しい時間でした。

 

今度はみんなを誘ってみようかなあ。

 

満月の下での月光浴ヨガ。

 

......わたしは満月まで待てなさそうですが。

 

外で動けるスペースがある人は、おすすめです。

 

メディテーションだけでも、気分が変わることうけあいです。

神社と教会に呼ばれまくる

正直、大変な時期だった。

 

なんだかひたすら息苦しい感じが続いていた。

 

今まで蓋をしていた、過去の思い込みや感情、

傷ついた心のうみなんかが噴き出す前兆だったのかな。

 

こういう時、他の人はどんな風に過ごすんだろ?

 

わたしはなぜか、ひたすら神社やら教会やらに行く機会が増えた。

 

まず、東京大聖堂。

 

クリスチャンじゃないから、という理由でもないけれど、

なんとなく中には入らず、奥のマリア像の前で30分くらいぼんやり祈って。

 

そこで得たメッセージは、

自分を傷つけた人へ感謝を送るのもいいけど、

その100倍自分のために祈って!

まずは自分に愛をそそいで!

 

みたいな感じ。

 

そして、保久良神社。

神戸に住んでいる時からちょこちょこ来ていて。

 

何かあるたびに、どこに住んでいようともちょいちょい呼ばれて。

 

そして今回もやっぱり呼ばれた。

 

メッセージは、

どんなに影響力のある人であろうが、相手に判断の軸を渡すな!

自分の感覚に従って、自分で判断をしろ!

 

あーほんとおっしゃる通りですわ。

 

そういえば、オーストラリアから帰ったばかりの時に寄ってみたら、

光の塊みたいなのがたくさん写り込んでいたっけ。

 

 

その次の日には、ふと宮島に降り立ってみたんだけど

(本当に、思いつきで駅降りた)

 

宮島よかったなあ。

 

なんか、ゆったりとした気分になれた。

 

ああ、全てがちっぽけだわあ、みたいな。

 

 

ーーーー

さて、当時のわたしはのんきなものだけど。

 

呼ばれまくって得たこれらのメッセージは、

 

その後の怒涛の展開の、

 

今思えば「お前覚悟決めとけよ。」の合図でもあったのだ。まる。

山歩き失敗と人生について

歌のライブに出た次の日だったので、疲れてはいた。

 

でもそれ以上に、見通しが甘かった。

 

わたしは、余裕だと思っていた登山を完遂できなかった。

 

そもそも、山のことをよく知らなかった。

 

なめてかかってたから、数少ない登山の経験から、

「こんなものだろう」という推測で適当な準備をしていた。

 

ゴールが見えていなかった。

 

何時までにゴールにたどり着かないといけない、ということを知らなかった。

(山の日の入りは早いのだ)

 

そもそも、それが何時間かかるルートなのかすら把握していなかった。

 

振り返れば、これでうまくいくはずがない!!

 

途中で親切なレンジャーさんに捕まって、引き返すようやんわり言われたのだが、

彼らに出会えていなかったら、どうなっていたことか。

 

(余談だが、彼らには麓で再開して、美味しいお店を教えてもらった)

 

 

 

山を下りながら、自分の人生を見ているようで愕然とした。

わたし、もし自分の人生が、自分の人生の目的を達成する前に山を下りなければならなくなったら、きっとこの100倍惨めな気持ちになる。

 

それなのに、わたしときたらちっとも自分の人生の目的を考えることなく、

日々、行き当たりばったりで暮らしている。

 

楽しかったけど、リフレッシュできたけれど。

 

これが人生だったら、

たぶん、わたしは、それでは少し物足りない気がするのだ。